パナソニックミュージアム/松下幸之助歴史館プロジェクト
企業文化を発信するパナソニックミュージアムを整備するために
日建設計コンストラクション・マネジメントが構想段階から完成にいたるまでをトータルにマネジメント

パナソニックミュージアム × 日建設計コンストラクション・マネジメント

(左)パナソニックミュージアム館長 山田 昌子氏
(右)日建設計コンストラクション・マネジメント チーフ・マネジャー 森 健一

2018年3月にパナソニックの創業100周年を機に開館したパナソニックミュージアム。これまでに来場者50万人を突破する大盛況を博しています。
このプロジェクトは当初、松下幸之助歴史館の建替えとしてスタートしましたが、創業100周年を機に歴史館を中心としたエリアでパナソニックの企業文化を対外的に発信する「パナソニックミュージアム」をつくる構想へと拡大しました。
今回は、パナソニックミュージアム山田昌子館長に、ミュージアムの完成まで共に仕事をさせていただいた日建設計コンストラクション・マネジメント(以下:NCM)チーフ・マネジャーの森健一が、あらためてミュージアム完成までの経緯や、NCMの業務へ期待したこと、その効果等についてお話をうかがいました。

松下幸之助歴史館の建替えからパナソニックミュージアムへと構想が拡大

山田
私はこのパナソニックミュージアムを企業文化ゾーンとして大きく展開する構想があがったタイミングでプロジェクトに参加しました。このプロジェクトは、当初は、1968年に創業50周年を記念し建てた旧松下幸之助歴史館(旧歴史館※現ものづくりイズム館)の老朽化に伴う建替え計画から始まりました。それが、パナソニックが2018年に100周年を迎えるにあたり、創業者松下幸之助がつくった企業文化を地域の皆様に100周年の感謝とともにしっかりと伝え、地域貢献が図れる施設にしたいと考え、パナソニックミュージアムとして構想が拡大しました。
当初、新たな松下幸之助歴史館(新歴史館)を旧歴史館の隣に建てた後、旧歴史館の場所は駐車場にする予定でしたが、パナソニックの家電を中心とした様々な歴代商品アーカイブを見ていただける場所を作ろうという意見も多く、旧歴史館は「ものづくりイズム館」として生まれ変わり、新歴史館と並び建つことになりました。またランドスケープ面では、ミュージアムの敷地周りにあった柵を取り払い低木の植栽にし、地域の皆様が入りやすく立ち寄りやすい施設とすることを意識しました。

手前:松下幸之助歴史館 奥:ものづくりイズム館


ここをパナソニックミュージアムという形にされたのはパナソニックさんの英断だったと思います。
NCMは、旧歴史館を建替えようというタイミングでこのプロジェクトに参加しましたが、その時に旧歴史館を建替えるか改修かの検討があり、まず新歴史館への建替えが決まりました。そして建替え計画が進む中で、このミュージアム構想に方向転換されました。大きな方向転換でしたが、設計施工会社、内装設計者・施工者、システム会社等、このプロジェクトに関わった多くの関係者に協力的に仕事をしていただいたことで、スムーズにこのミュージアム構想にシフトすることができました。

山田
そうでしたね。当時は歴代商品の展示場所が必要ということは決まっていましたが、旧歴史館の建物を活用するとは決まっていませんでした。そのため、展示場所について、テントやコンテナでの展開や場所借りなど、様々な検討をしましたが、最終的に旧歴史館を使えばダイナミックな商品展示ができるとなり、ものづくりイズム館として生まれ変わらせることが決定しました。
構想拡大を決める時、ミュージアム全体の模型を使い、ぜひこのような施設をつくりたいというプレゼンがあったのを覚えています。その模型によって全体のイメージをつかむことができ、結果、当時のブランドや施設管財のトップから社長まで、速やかに決裁がおり実現に向け進行できましたね。そしてミュージアムが企業文化ゾーンとして展開できることになりプロジェクトメンバーはすごく喜びました。ただ、計画変更があっても、100周年の2018年3月7日に開館というスケジュールは変わらなかったため、作る側の人達は、これは大変なことになったなと思ったのではないでしょうか。でも、ここでNCMの森さんに活躍いただきました。森さんは、関係者全員のモチベーションを高く保ちつつプロジェクト実現へ向け私たちを支援してくれて、本当に立役者といっても過言ではないと思います。

一番印象に残っているのは着任初日の森マネジャーとの出会い

山田
森さんに初めて会ったのは、忘れもしませんが、私がこのプロジェクトに着任した初日の2017年2月1日で、その時のことは今でも一番印象に残っています。前年の年末にこの内示を受けたのですが、その時はもちろん驚きましたが、同時に100周年に携わることができる機会などなかなか無いし、うれしいという気持ちが本当に大きかったです。その気持ちを胸に着任した初日の定例会議を、森さんが司会進行役として仕切っていました。その時の第一印象は、まじめで不愛想で、冗談も通じなさそうでちょっと怖そうな人という印象でした。でも、会議のたび、森さんはすごくまじめな話をしているときに冗談を挟んだりすることもあって、実は面白い人なんじゃないかと思いはじめ、探りながら少しずつ距離を近づけていきましたね。


私も最初の会議の時のことは鮮明に覚えています。定例会議は、山田さんが着任される前から旧歴史館の貴賓室を使用していたのですが、その日は部屋の長机の中央に山田さんが座られて、その前で私が司会を務めました。当時、山田さんは鳴り物入りでパナソニックセンターのセンター長からこのプロジェクトのために呼ばれたということでしたので、かなり緊張しながら司会をした記憶があります。

山田
また、私はショウルームの仕事を長くしていましたが、ショウルームは内装が中心で建築に関しては知識がありませんでした。そのため、このプロジェクトへの参加は大変勉強になりましたが、一方で苦労もありましたね。特に苦労したのは、YES、NOを決めなくてはいけない時に何をもって判断するかということで、本当に迷いました。でも、わからないなりに一つ一つ解決し、このミュージアムを関係者と一緒に完成させることができたことも印象に残っています。


そうでした。我々が山田さんに判断していただくための材料を準備し渡せば、速やかに判断してもらえました。このように多くの人が関わるプロジェクトでは、なかなか決めていただけないときもあるのですが、山田さんには本当に速く決めていただきました。それもプロジェクトがスケジュール通りに完了した大きな要因だと思います。

山田
決められないことも多いです。これまでの経験上、答えは一からつくるものではないということが多いなと感じています。それでも、このようなプロジェクトでは自ら答えをつくるということが成功へのカギだと実感していましたので、答えがないものを見つけることを励みにして楽しみながら判断するようにしていました。また、内装をやっていたころにも経験しましたが、建築の現場でもデザイナーと施工者の戦いはあるんだなと感じましたね。デザイナーにはこだわりがある、でも施工側はそれでは工期やお金が間に合わない、といったせめぎあいですね。そのような時も、会議の中で森さんがうまいタイミングで厳しくさっと言って収めてくれていました。そんな会議の在り方もすごく記憶に残っています。


せめぎあいといえば、この貴賓室を含め、完成するまでに様々なトラブルや意見の相違などはありました。私はそのような時は必ず施主や作る側のことだけでなく、施設に来館し利用するお客様にどうしたら喜んでもらえるかを考えます。それがひいては施主の喜びにもつながると思っています。デザイン等には多少自分の好き嫌いが出てしまうこともありますが、常にその視点で何がいいのかをニュートラルに判断することを心がけました。

山田
スケジュール面については、内装に関しては自信がありましたが、そこに建築やランドスケープ等の与件が加わったので、自分の知識や経験だけでは対応しきれないことがありました。また予算規模も非常に大きかったので、コストとスケジュール、クオリティのバランスについての不安もありました。さらに、この100周年を記念するミュージアムが、来場者に受け入れられ、驚きや感動を与えられるものになるのかということも不安でした。


新歴史館は企業博物館ですので展示空間が重要でしたが、展示空間についてはNCMが仕事をいただいた建築工事部分の範疇外だったんです。本来、建物を引き渡してから展示工事に入るのですが、途中から建築、展示などの関係各社の役割分担が変わり、新歴史館の展示工事を担当した会社が、建物の内装や外構のデザインをしたり、ものづくりイズム館の中身を全部つくりかえる展示工事もすることになったりしました。
最終的に、NCMはプロジェクトをマネジメントする立場としてミュージアムをどう完成させるかという視点で、常に関係者の役割分担を考えながら展示工事部分を含め全体的にマネジメントしました。この時にパナソニックさんが皆一緒にやろうよと言ってくれたことで、関係者が皆同じ方向を向き、ゴールを目指して動けました。もちろんぶつかり合うこともありましたが、このプロジェクトに関わった人たちとは今も一緒に飲みに行くなど顔を合わせる機会が多いんです。そこで、他にはない現場だったという話もよく聞きますし、本当に一体感のある現場だったと思います。

山田
それで思い出しました。もともと森さんには歴史館建替えのCM(コンストラクション・マネジメント)業務をお願いしていました。でもミュージアム構想に変わったことで旧歴史館も、外構もということになり「やはり森さんに延長で全部出来上がるまで入ってもらわにゃあかん」という担当部門の判断もあり、改めて森さんにお願いしたという経緯がありました。多くの関係者が入り混じったプロジェクトだったので、それらを一つにつなぐ役割の人が必要だとなり、それで森さんに引き続きお願いすることになったんです。

NCMを知ることに始まり、信頼へ


NCMは、建築を担当されていた部門からCM業務を発注いただいていたんですが、山田さんは現在の歴史文化コミュニケーション室当時の社史室、つまり、出来上がった施設を使う立場としてプロジェクトに参加されましたよね。

山田
そうですね。ですので、NCMのことは、社名はもちろんどんな仕事をする会社かも知りませんでした。でも、定例会議の時に、前の会議でやると決まったことを森さんが細やかに整理したTODOリストを、毎回提出してくれました。初めて見たときに驚きましたが、何百項目もありましたよね。それを会議の中で、ここまではできた、ここはまだ課題が残っている、というように一つ一つ解決していくんです。それは本当に根気のいる作業でしたが、それを森さんが粛々と進めてくれました。


そうですね、2週に1回の定例会議で毎回やっていましたね。

山田
その会議で、森さんが建築、内装、システム等の項目を全て整理し、できていることできていないことや課題を浮き彫りにしてくれたので、会議の時はほとんどメモをとらなくていいくらいで、まさに森さん頼りでした。さらに、設計施工、デザインやシステム等の複数の関係者の課題などの情報集約から、建築会社から出てくるコストまで、全部見ていただきましたね。それらの仕事を通じて、プロジェクトの根幹をなすCMという役割がそこにあるということを認識し、NCMがどのような会社で何をしてくれるのかを知ることになりましたね。森さんには、CMr(コンストラクション・マネジャー)として本当にこの仕事をやり切っていただいたと思っています。


でも、山田さんからは非常に難しいことをやっていたように見えたかもしれませんが、我々はCMr、専門家として「ここできてないよね」という当たり前のリストだったんですよ。

山田
でも、他で同じことをお願いしたことがありますが、ち密さ、更新内容などが全然違います。もし、リスト項目やチェックに抜け漏れがあったら、プロジェクトがどこかで止まってしまうと思います。でも、森さんは抜け漏れがなく完ぺきでしたよ。


ありがとうございます。ここも当たり前のことではあるんですが、常に抜け漏れのないように意識はしていました。

紆余曲折を経て設置した煙突が一役買ったライトアップ効果


また、この新歴史館は外から見ると煙突が見えますが、旧歴史館には煙突はありませんでした。新歴史館の外観は1933年に門真市に建設された第三次本店を模したんですが、その第三次本店に煙突があったそうです。その煙突は生産のためのものではなく厨房のボイラーの煙突だったそうですが、それを新歴史館で復元することになりました。ただ昨今は煙突に対してあまりポジティブではないイメージもあり設置するかどうか様々な意見がでたそうですが、第三次本店を復元するというパナソニックさんの強い想いと、煙突はその象徴的なものであるということから設置を決定したと聞いています。ちなみにこの煙突は、自然換気をする設備に利用しているので、環境に悪いものではないんですよね。

自然換気装置として復元された煙突         建設当時の第三次本店

山田
旧歴史館は、1968年の50周年の際に建てたものですが、当時はまさに日本の高度成長期で公害が社会課題になってきた時代でした。それもあり、旧歴史館では、煙突を象徴的なものとして扱わずあえて付けないという判断があったようです。今回、様々な意見を出し合って、結果として煙突を自然換気に利用したことは単なる煙突ではないといえますし、本当にいいアイデアだったと思います。
実は、その煙突のおかげで、夜のミュージアムのライトアップが物凄くきれいなんです。煙突がある新歴史館が下からのライトで浮かび上がる光景は本当に印象的で、来館される方にはぜひ見ていただきたいですね。


そのライトアップには、パナソニックさんの新しい照明商品を使われたんですよね。

山田
そうなんです。おかげさまでパナソニックミュージアムとして照明普及賞をいただきました。またこのCM業務が2019年のCM選奨も受賞したんですよね。奇しくも同じ日に表彰式があったことも記憶に残っています。

2018年照明普及賞 受賞施設一覧
https://www.ieij.or.jp/IP/award2018.html

CM選奨2019 受賞プロジェクト紹介(ダイジェスト版)
https://cmaj.org/index.php/ja/sensyo/cma-kiji/1616-cma-digest-2019

歴史館 南東(夜景)

史料写真を読み解き復元した第三次本店の貴賓室


今いる貴賓室は、基本計画の時点で復元すると決まっていましたが、貴賓室の内装の復元については後から決まりました。その内装の復元にも苦労がありました。例えば、この絨毯は内装のデザイナーがモノクロの史料写真から色を再現して柄を検討するなど、すごく力を入れて復元したんですが、この貴賓室の床を1枚で敷き詰められる大きさだったので、部屋に入れるのにも苦労しました。また、このテーブルも大きな一枚板の天板のため通常の経路ではどうしても搬入できず、部屋の窓をはずすなどの工夫をして入れました。

山田
この貴賓室は、とてもお客様の感動を呼ぶ部屋なんです。まず、お通ししたとき、このような部屋があることに本当に感激されます。その上で、床や椅子の色はモノクロの史料写真から苦労して再現したこと、どのような技術を使って再現したのかなどをお話すると本当に興味深く聞いていただけます。
また、この一枚物の絨毯にも、一枚板のテーブルにも思い入れがあります。テーブルは、森さんがおっしゃった通り、窓をはずして入れたんです。実は搬入の時に、テーブルの天板を割らないと入らないと言われたんですが、このときも森さんに登場いただいて施工者さんを説得していただきました。

復元された貴賓室


この貴賓室は、普段は非公開なんですよね。

山田
はい、非公開にしています。貴賓室はVIPの方との懇談等をする部屋なんです。VIPの方をご案内するとき、もし部屋が埋まっていたら失礼に当たってしまいますので、社内で利用希望がある場合も予約制にして基本的には遊ばせています。また、ちょっとしたサプライズとして、壁沿いのキャビネットからモニターが出てくるようにしました。モニター設置にも内装やシステムの人たちに尽力いただきましたが、そういった一つ一つにこだわり、驚きにつながるよう考え作り上げた結果、松下幸之助の映像を映したりセレモニーのプレゼンをしたりすることができて、この部屋は私たちにとってお客様と雰囲気よく関係づくりをするのにすごく大事なものになっています。

創業100周年の2018年3月7日、パナソニックミュージアム開館

山田
3月7日にオープンするまでは本当に忙しく大変でしたが、オープン当日に関係者を集めた大打ち上げパーティを行い、そこでメイキング映像を上映したことも思いだされます。打ち上げは総勢150人も集まった盛大なものでしたが、招待者リストを作る時に関係者からリストを集めたら、なんと2800人にもなったのには驚きました。しかも、そのうち社内関係者が300人近くいたんです。どんなに大きなプロジェクトでも、社内関係者は100人程度なので、実にその3倍です。それほどに多くの人が関わったプロジェクトだったんだなと改めて感じましたね。


オープンの時の打ち上げには私も参加させていただきましたね。

山田
それと、3月7日前後の竣工式等にNCMの水野社長はじめトップの皆さんに出席いただきました。その時に皆さんがミュージアムの完成を本当に喜んでくれたことを今でも覚えています。それで皆さんに本当に応援していただいたプロジェクトだったんだということを改めて感じました。


私は、松下幸之助さんに関わるこのプロジェクトを通じて、改めて多くのことを勉強させていただきました。私も昭和の人間なんですが、我々の世代からするとやはり幸之助さんは稀代のヒーローだと思います。その幸之助さんを記念する施設にCMrとして携わらせていただいたこと、その思想や生き方を展示するこの建物の端に名前を連ねさせていただけたことは大変光栄なことだと、会社としても私個人としても思っています。これまでパナソニックさんの施設については大きなものも含め携わってきましたが、このパナソニックミュージアムには、別格の意味、存在感があると感じます。

山田
他にもミュージアムオープンに合わせて様々な取り組みを企画しました。オープン当日に、松下幸之助の数々のエピソードを取り上げた、47都道府県で異なる内容の新聞広告を出しました。その北海道から沖縄まで一つ一つ異なる掲載紙面を一堂に集め展示したのが、この新歴史館の最初の企画展だったんです。この企画展は来館された方にも大変好評でした。また、その夏には万博をテーマにした企画展を開催しました。その時期はちょうど11月の万博開催地決定前で、やはり関西で大きくしていただいた企業として夏に万博を取り上げるのは必須だと考え企画しました。その時の目玉が、大阪歴史博物館に収蔵されている、1970年の大阪万博の時にパナソニックがタイムカプセルに入れた2098点の品の一部を展示するというものでした。他にも、ものづくりイズム館では、1970年の大阪万博で三洋電機が展示した人間洗濯機を常設展示しています。人間洗濯機は当時ものすごく話題になったらしいですね。展示以外でも楽しめる企画を考えました。「ナショナル坊や」やレトロ家電などをフィギュアやミニチュアといったオリジナルグッズとして復活させたんです。特にレトロ家電のミニチュアは、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、炊飯器の1号商品で、それをガチャガチャで販売したら現在も大人気です。また、ミュージアムの解説本もつくりました。解説本を読んでミュージアムの追体験をしていただき、松下幸之助やパナソニックを思い出していただけるとうれしいですね。

100周年を記念して1年限定で設置されたサイン

来館する人たちからの大きな反響と次の100年へ向けた想い

山田
昨年度、この貴賓室のビジネス目的の予約件数は約1000件で、そのうちVIPのトップ商談が200件ほどありました。改めてこの施設が企業トップの方々から信頼いただけていること、ビジネス交流にとても活かせていることを感じています。その信頼がどこから来るのか、どこに惹かれるのかを考えると、松下幸之助が日本を代表し世界に誇れる企業家であること、経営という観点で松下幸之助の生き方や生き様を見ると自らに重なる面があるのではないかと思います。一般には知りえることのない彼ら自身の経験や悩み、苦悩が、松下幸之助の生涯と重なることで、感じる何かがあるのではないでしょうか。
また、海外については特に中国のお客様からの反響が大きいですね。実は貴賓室の海外とのビジネス案件の予約のうち半分は中国なんです。我々の歴史をたどると、中国がまだ発展途上の時期に当時の最高指導者から中国の発展のために尽力をお願いしたいという依頼があり、その時に「なんぼでも協力しますよ」といって、いち早くカラーテレビの工場を中国に作りました。そのような経緯もあってか、中国の方の松下幸之助の人気がものすごく高いというのを改めて感じます。
あと、やはり私たちは関西に本当に愛されている企業なのだと思います。ミュージアムの前を通る方が、門を入ったところにある松下幸之助の像をみて「幸之助さんや!」って言うんです。こういったことから、それだけ地元の方にも企業トップにも海外のお客様にも、すごく喜ばれている施設なんだということを改めて感じます。
また、この施設は入館料をいただいていないので、気軽にお越しいただきたいですね。ミュージアムの一角をなすさくら広場は、その名の通り春は桜がきれいなんですが桜が満開の時期も無料で一般開放しています。ここでも地元の方から「さすがパナソニックさんや」という声をいただいたりして、本当にありがたいです。

さくら広場

山田
ネットワークが普及しモノを欲しがらない時代になってきて、そういった社会環境に合わせ企業もどんどん形が変わっていくんだと思います。だからこそ、つくりあげた経営理念は変わらずあり続けることが大事なのではないかと、次なる100年へ向けて感じています。大事にしなくてはいけないことと変わらなくてはいけないこと、それらを私たちはしっかり考え守っていくべきと思います。また、ものづくりイズム館では家電商品を中心に展示していますが、今後は次の100年へ向けた事業の取り組み等をものづくりの心を通して紹介していきたいと思っています。それによって、少しでも多くの方にパナソニックのファンになってもらい、信頼性や期待を感じていただけるような施設にしていきたいと思っています。


パナソニックミュージアムという施設自体はどんどん変わっていくんだと思います。
この新歴史館はもちろん100年使えるようにつくられていますし、中身を刷新しながら使っていただけると思います。パナソニックミュージアムは今後もパナソニックさんの発展とともに変化していくと思いますので、その時にはまたぜひお手伝いができればと思っています。

山田
そうですね。是非よろしくお願いします。


本日はありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

■プロジェクト概要

名 称:パナソニックミュージアム/松下幸之助歴史館プロジェクト
発注者:パナソニック株式会社
設 計:株式会社竹中工務店一級建築士事務所
施 工:株式会社竹中工務店
展 示:株式会社乃村工藝社
弱 電:パナソニック システムソリューションズ ジャパン株式会社
C M:日建設計コンストラクション・マネジメント
規 模:地上2階、塔屋1階(松下幸之助歴史館)
構 造:S造

2019年【CM選奨】受賞

(対談風景Photo:吉田周平)

【パナソニックミュージアム】
https://www.panasonic.com/jp/corporate/history/panasonic-museum

※掲載内容は2019年時点のものです。

PROJECT

パナソニックミュージアム

創業50周年を記念して建設された旧歴史館は、築後50年を経て設備機器の老朽化や新しい展示への対応の限界などもあり、建替・改修が検討されていました。当初、創業100周年記念日オープンを厳守するため旧歴史館の施工者への特命発注が検討されていましたが、広く提案を求めたいとの想いからNCMがプロジェクトの見直しを行いました。